2010年3月 8日
室町時代の戦国期
応仁の乱で将軍の権威は完全に失墜し幕府の権力は衰退したが、将軍の軍事的な実権はある程度保たれていた。乱のあと、将軍の権威に変わる形で管領細川政元が絶大的な権力者として台頭するようになった。義尚の死後、将軍の座は義視の子・足利義材が継承していたが、義材と対立した政元は、義材と結ぶ元管領畠山政長を討つと、明応の政変を引き起こして義材を追放して足利義澄を新将軍に擁立した。戦国時代の始まりは長らく応仁の乱がきっかけとされてきたが、今日では明応の政変をきっかけにして戦国時代が始まったとする説が有力になっている。
家臣である管領が将軍を廃したこの事件によって政元は細川京兆家による管領職の世襲化と独占状態を確立し、さらに将軍の廃立権をも手中に収めたのだが、その天下も長くは続かなかった。自らの後継者を巡る家中の内紛で殺害されたのである。以後、政元の養子である細川澄元と細川高国が後継管領を巡って争いを始めた。これを知った前将軍義稙(義材改め)は、大内義興とともに上洛、細川高国の出迎えを受けて将軍位に復した。だが、大内義興が本国情勢によって帰国すると、高国は亡命先で没した義澄の遺児足利義晴を新将軍に擁立して義稙と澄元連合軍を破った。
最終的に澄元の子・細川晴元が高国を倒し、義晴を新将軍と認めその管領になる事で20年以上にわたる内紛に終止符を打った。結局、一連の内紛で幕府そのものが衰微し京都周辺を収めるだけの地方政府へと転落し、辛うじて守護に代わって全国に割拠した戦国大名への権威付け機関としての存在感を示すだけのものと化した。
だが、晴元が政権獲得の最終段階で功臣・三好元長を殺害した事が後年大きく裏目に出る。元長の子である三好長慶兄弟が晴元に対して挙兵、晴元を追放して将軍足利義輝を傀儡化した。長慶は晴元の後任に傀儡の管領を立ててその職権を奪い、相伴衆の一員として幕政の全権を掌握した。だが、その晩年には重臣の松永久秀に実権を奪われて病没した。
この状況を見た将軍・義輝は上杉謙信(関東管領)をはじめとする親将軍家の戦国大名の支援を受けながら、将軍権威の再建に努めるが、その矢先松永一派のクーデター(永禄の変)によって暗殺された。その弟・足利義昭は管領斯波氏の元家臣織田信長の支援を受けて上洛して松永らを降伏させて将軍に就任する。だが、やがて「天下布武」を唱えて新秩序形成を目指す信長と旧来の将軍・幕府中心の秩序の再建を目指す義昭は敵対し、1573年に義昭は信長によって京都を追放されて幕府組織は信長の築いた政治機構に解体・吸収された。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
慈照寺銀閣は室町時代に作られました。
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